わさび職人の笑顔に支えられて
二〇一〇年十一月に放送された、第七十九回多摩探検隊『奥多摩のわさび職人』。これは、わさびの名産地である奥多摩で、約五十年に渡りわさび栽培を続ける職人、千島国光さんを追った十分間のドキュメンタリー番組である。わさび作りが生きがいだと語る千島さんは、七十七歳でありながら、山奥にあるわさび田に毎日通い続けている。私は二〇一〇年の夏から秋にかけて、ディレクターとしてこの番組を制作した。しかし、一つだけ普通の番組制作とは異なることがあった。
番組を制作する際は本来、題材を探し、取材を進め、撮影を行うことから始める。しかし、この番組の場合、映像のほとんどが先輩によって既に撮影されたものだったのだ。取材や撮影が大きく省かれた反面、私は本来とは違うプロセスで番組を制作することに強い不安を覚えていた。「初めて作る番組なのに、ちゃんと完成させられるだろうか」。そう思いながら、番組制作は始まった。
二〇一〇年八月。セミの声がしきりに響く中、私は奥多摩の山道を登っていた。千島さんの所へ行き、足りない映像を撮影させてもらうためだ。十五分ほど歩いて、小さなわさびの直売所に着くと、一人のおじいさんが私を迎えてくれた。モニターの中で何度も目にしていた千島さんだ。手際良く作業する姿は、映像で見るよりもさらに元気そうに見えた。
早速、事情を説明し、お店の撮影をしていると、千島さんが奥から一本のわさびを持ってきた。誇らしげに掲げられたそのわさびは、とても大きく、まっすぐで、眩しい黄緑色を放っていた。千島さんのわさびは、品評会で過去に何度も入賞しているという。「すごいでしょ」。千島さんが満面の笑みを浮かべながら言った。それはまるで、手塩にかけて育てた我が子を見る父親の笑顔のようだった。私はその時、初めて心の底から「この職人のわさび作りに対する愛情を伝えたい」と思えるようになっていた。
撮影が終わると、編集作業が始まった。初めての作業ばかりで、ひどく苦戦した。何度も先輩に相談しながら構成を考え、大学に一人通っては、冷房も効かない部屋で編集する日々が続いた。あまりの暑さに集中できない日もあった。一日中土砂降りで、家から出たくない日もあった。それでも、私は千島さんの情熱を形にすべく、毎日のように大学に通っては、編集用のパソコンと向き合った。
一通り編集を終える頃には、秋学期が始まっていた。そして、すっかり涼しくなった十月中旬、ようやく番組が完成した。
編集に明け暮れた日々を思い返せば、どれも辛かったことばかりだ。しかし、私が諦めずにここまで努力できたのは、ひとえに千島さんの生き生きとした笑顔に触れたからだと思う。今でも辛いことがあると、完成した番組をつい見返してしまう。たった十分間のドキュメンタリーを見る度に、父親のような職人の笑顔が甦る。その笑顔が、それとなく自分を勇気づけてくれている気がするのだ。<\p>